ある日、僕は未来からやって来たという女性に会った。しかし、どこで会ったのか、いつ会ったのか、正直憶えていない。ただ、僕のノートには、妙にしっかりとした文章が残されていた。たしかに僕の筆跡ではある。しかし、僕の文章ではない。口述筆記したようである。とにかく、このメモは僕だけが持っているべきものではないようだ。

———————–  口述筆記メモ全文 —————————–

私は3000年、ちょうど今から1000年先の未来からやってきました。
その使命は、人類の破滅を今から防ぐために、この時代の子供たちに正しいことを伝えることです。
まず、本当のこと、真実を知ることが私たち人類が生き延びていく土台なのです。

未来から今の時代をみると、たいへん迷信的なところがあり、間違っているところがたくさんあります。ちょうど、大昔の人が神に生け贄を捧げて、水害を避けるということと同じように、まったく、関係のないことをあたかも正しいことのように信じていることが、今この時代にもたくさんあるのです。

私が来た3000年の未来では、2500年ころまでの迷信に惑わされた人類を旧人類と呼び、それ以降を超人類と呼んでいます。
超人類の特徴はまず、真実を知ること、それを土台に人類のあり方を計画して変化させていくという生き方をしていることです。

「私たちとはなにか」

ここで話している私や、これを読んでいるあなたとはいったいなんなのか。なんのために生きるのかということからお話します。すこしショックかもしれませんが、この話したり、考えたりする、いわゆる精神と呼べるものは、私たちの心臓や肝臓など非常に複雑なコントロールをしている私たちの本当の主人である遺伝子のセンサー(外部からの危険を避けたり、栄養のあるものを見つけるといった関知のための機能)でしかありません。
主人は遺伝子であり、その遺伝子を将来に増やし続けていくための乗り物がこの肉体であり、その肉体に必要な栄養物や危険から守るための単純な仕組みが「この話をしている私たちという精神」なのです。

その証拠に、自分たちの体が、どうやって食べ物から栄養を取りだし、エネルギーに変え、体に同化させていくのかを、「私たち精神」は教えてもらっていないし、教えられても複雑すぎて理解できないのです。
なぜ、教えられていないかというと、センサーの能力を最大に発揮させるために、センサーはセンサー以外のことに無駄なエネルギーを消費させない方が効率がいいという遺伝子の判断なのです。

「遺伝子はなにを目指しているのか」

それは、ひとことでいうと「宇宙」を乗り越えることです。
もうすこし、簡単にいうと「宇宙にもいつかは終わりがくるのですが、その宇宙の終わりといっしょに消滅する前に、この宇宙から脱出して、ほかの宇宙に乗り出すこと」なのです。

3000年の超現代では。私たち人類がその役目を果たし、そのことによって人類も遺伝子といっしょに、宇宙の消滅から脱しようと考えています。

また、遺伝子は地球上の生物だけに、脱出の望みを託しているのではなく、この宇宙の様々な星に遺伝子を分散させ、脱出の可能性を高めようとしているのです。

「命とはなにか」

では、私たちの命とはなんなのか、なぜ限りがあるのかについてお話しましょう。
実は命に限りがあると感じているのは、この私たちの意識、つまりセンサーが意識している概念でしかありません。遺伝子にとっては、遺伝によって次の命に乗り換えていくので「遺伝子生命」には、元になった遺伝子の子孫が全滅しないかぎり終わりはありません。

では、なぜ、そのセンサーや肉体に命という限界を遺伝子はつけたのでしょうか。
それは、その種(人とかゾウなど)ごとに、効率よく進化できる期間を設定しているからです。

肉体と精神が進化というレベルで変化できる効率的な期間設定が命の長さです。
ちょうど、私たちが車を乗り換えるように、遺伝子は新しい時代にあった機能をもった車に乗り換えていきます。
そして、遺伝子がおそれるのは乗り物の自滅です。つまり自殺です。
そのために死をおそれるという機能も設定しているのです

「遺伝子の生き延びる中心戦略はなにか」

では、遺伝子は、私たちとは違って将来を見通せているのでしょうか?その将来に向かって、もっとも効率的に生物を動かしているのでしょうか。
実は、遺伝子は将来のすべてを見透かしているわけではありません。それは生物の進化の仕方をみれば理解できるでしょう。

生物を動かしている体の仕組みは相当複雑で効率的なものですが、その進化の仕方は、かなり、行き当たりばったりとも言えます。
古い進化論では、偶然の変異によって、たまたま、その時の環境に適合したものが偶然に生き残るとされていますが、実は生物は生き残りの可能性を高めるために一定の割合で、意図的に多様化を試みています。
他の種との競争であったり、他の種の利用であったりというようにある程度の意図があるということです。
たとえば、花は昆虫を見て、蜜を用意するとか、キリンは、高い葉を食べるために首が伸びるとか、などです。

しかしながら、進化は単一的です。ネズミは子供の数を多くして子孫を残すだけで、決して最強の牙をもつことはないのです。
そこには、進化方向の一点集中による、より素早い進化という効率はあるのですが、決して、先の将来を見越した進み方ではないのです。

むしろ、遺伝子は、あらゆる可能性、あらゆるリスクへの対応力を殺さないように、多様化していくことを尊重しているのです。
遺伝子は最終脱出の明確なシナリオを決めつけるのではなく、あらゆる可能性を殺さないという信念を貫いているのです。

それが、遺伝子の持っている中心戦略である多様化戦略です。

「私たち人類はなにをすべきか」

一言で言うと、前でも述べたように、遺伝子がこの宇宙が消滅する前に脱出する役割を果たすことによって、人類も遺伝子とともに宇宙の消滅から脱却しようということです。

しかし、私たちは、そのような長大な計画の前に、様々な危険をくぐり抜けて生き延びなければなりません、そのためには、私たちも遺伝子の戦略と同様、多様な人間を許容し、それぞれの体質、能力、精神を許容し、発展させていく必要があるのです。

ある病気で死ぬ体質もあれば、そうでない体質があります。ある時代で活きる能力があれば別の時代で活きる能力があります。ある時代で活きる精神もあれば、別の時代に芽を出す精神もあります。

ある時代や文化に適しない体質、能力、精神であるというだけで、それを根絶してしまったとき、私たちは次の時代に生き残る可能性を減らすことになるのです。

ある時代、文化の中で正しいということは決して永続的、絶対的なものではなく、長い年月の中での一時代の役割を担っているだけのものであることを頭の片隅に意識しておく必要があります。

この精神が人類の多様性を維持する源なのです。

このことをもっと身近な行動で表現するならば、様々な人を許容し、その人のもつ本来の天性や能力を最大限に発揮することを許し、援助できる許容力をもつこと。

私たちがすべきことの最も基本にあるのは、この多様性の意味を理解し、維持していくことなのです。

—————————– 口述文以上—————————

口述文はここで終わっている。この先があるのか、どうかはわからない。とにかく、この文章をここに公開する。

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追記)2018年

2002年に上の記録が書かれたのだが、あれから17年経過した今、私の中に上の内容とは少し異なる概念が入り込んできている。この概念は上の考えと融合するか、相反するのかは十分検討できていないが、ここに記録し、いずれ、上の概念との融合を図れればと思う。

1.生物は、個々の生命より、集団の命を優先する

つまり、生物は集団(群れ、家族、村、社会)に生かされており、基本的に集団の生存が個々の生命よりも優先されているとう概念である。

例えば、鮭が産卵のために川に遡上し、産卵後に死んで、孵化してくる子ともの栄養になるというのが典型的な例である。

あるいは、ライオンはボスは一匹だけ残り、弱いオスは、その集団の食べ物を減らさないように、群れから排除されて死んでいくというようなことである。

人間にも、おそらく、このような生物的な集団優先の原理は働いているのではないかと推定される。

2.生物がオスとメスに分かれる前までは、命は永遠だった

いわゆる有性生殖の前は、細胞分裂といったように一つの生物が分裂し、個体を増やしていった。しかし、この場合、環境変化に対しての対応が遅く、環境に適さない体を自ら改善できないため、有性生殖によって、親とは違うタイプの子孫を一瞬で、新品の個体にする有性生殖が発明されたと考えられる。

これにより、上記の集団を優先するために、つまり、無駄に子孫の食料を奪わないように死という新しい対応が発明されたと考えられる。

以上のことは、2002年の記述にはなかった概念である。決して、以前の記述と矛盾するわけではないが、2002年の記述に加えて見たいと思っている。